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山のネットワーク第3回 【上鹿川の西京子さん】

山のネットワーク第3回 【上鹿川の西京子さん】

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 今回ご紹介するのは、延岡市北方町上鹿川地区在住の西京子さん(54歳)です。
 上鹿川地区は、国道218号線から、鹿川渓谷を遡った上流域にあり、現在、27世帯76人が暮らしています。大崩山(1,643m)、比叡山(918m)、鬼の目山(1,491m)、鉾岳標高 (1,277m)、釣鐘山(1,396m)などなど、千メートル級の山々に囲まれ、山と巨岩と清流のコントラストも美しい、ダイナミックな風景が広がる地域です。

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 西さんは六年前に、宮崎市内からご主人とともにこの地区に移住しました。植物の繊維や繭を糸に紡ぐことを生業とし、森づくりのボランティア組織、NPO法人ひめしゃら倶楽部(代表・飯干喜恵)理事や、木材をチェーンソーで削り造形物をつくる延岡チェーンソーアートレンジャー部隊(部隊長・新本比左良)事務局を務めるなど、地域住民や仲間とともに積極的に森や山村の素晴らしさを伝える活動をしています。

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【西京子さんへインタビュー】

上鹿川に移住したき動機ときっかけは?

西さん 
 地元の新聞に掲載された移住者募集の告知を見て上鹿川のことを知り、迷うことなく移住を決めました。
 山で暮らしたいという願望はあったのですが、それまでは、宮崎市内で居酒屋を経営していました。お客さんとの会話は楽しいし、可愛がってもらえたので大変繁盛していたのですが、朝日が昇る頃に眠り、夕日が沈む頃から明け方まで働くという暮らしを続けていたら体調が悪くなりました。
 山で暮らすことへの願望は、子どもの頃の幸福な思い出があるからです。野尻町の次郎ヶ岳の麓で、炭焼きをしていた頃のこと。炭や山の香りの記憶や、川魚や椎の実を焼いて食べた味の記憶が私の中で生きています。
 山は豊かで、大きな椎の木があり、父がもくようの木で羽子板や羽根を作ってくれて遊びました。病気のときは、5cmぐらいの山椒魚を薫製にして食べたこともあります。小学校までは片道6kmありましたが、毎日母が懐中電灯を持って、夜道を私の名前を呼んで迎えてくれました。
 お金もなく不便だったと思うのですが、愛情に満ちた暮らしがありました。私が、一番幸せな時間を過ごせた頃だと思います。

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実際に上鹿川に移住して、どういったことを感じていますか?

西さん 
 最初は、こんなに山と川の景観美に優れたところが観光地化されていないことをもったいないと思う気持ちもありました。だけれども、地域の人の素朴な人柄や働く姿に触れるうちに、ありのままを受け入れればいいのだということに気づき、そうすると私の心もすいぶん楽になりました。
 規則正しく時間に従って働くのも意義のあることだと思うけれど、自分の計画通りに、自分のために働くこと。責任もあるけれど、そういう生き方も素晴らしいと思います。
 そうやって生きてきたおじいさん、おばあさんの素敵なこと。「田舎におっても、何もない」と、じいちゃんたちは言うけれど、一鍬、一鍬、自分の田畑を耕し生きてきた証があります。手ぬぐいをギュッと締めたじいちゃんのカッコいい立ち姿!個で経済をうちたてて働くカッコいい生き方だと思います。

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 高齢化社会というけれど、人間がこんなに長生きするのは、年配の方にとっても、未知の世界のことです。長生きしたのだから、ゆっくりするのも大事なことだと思いますが、たくましく働くじいちゃんたちの姿を見て、凄いとか、素敵だなと感じてくれる若者が増えれば良いなと思います。
 私は衣食住に石油を使って育った世代だけど、その前の時代にはそれがなかったわけです。代わりに暮らしの知恵がたくさんありました。その叡智を知ることは、これからの時代を生きる力になると思います。いかに伝え、いかに暮らしを残せるのか?大人たちが本気で考えなければいけないと思います。

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ご自身の活動について教えてください?

西さん
 植物の繊維や繭から糸を紡いで、染色することや、山荘でボラバイトをしています。鹿川を訪れる方は、山登りでも魚釣りでも、みんな鹿川が好きな方たちばかりです。そういう方たちとお話するのは、楽しいですよ。

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糸を紡ぐときは、幸せな時間です。

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糸が絡まらないように、小豆をのせる。昔の人の知恵に感動します。

 森づくりのボランティア組織、NPO法人ひめしゃら倶楽部では、山や森について学んでいます。一般住民や、学校、企業、地域行政、団体等を結ぶ機能的な仲介窓口となり、体験型環境教育活動の実施や地域ネットワークを構築する中間支援組織を標榜しています。上鹿川を第一フィールドとし、すでにTOTOやローソンなどが、社会奉仕活動の一環として植栽をしました。お互いにどう学んで行けるか、きっと良い答えが導きだせると思います。

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 延岡チェーンソーアートレンジャー部隊では、林業や県産材の素晴らしさをチェンソーアートで啓発しようという目的があります。隊員は、20名。ほとんどが、上下鹿川住民です。
 間伐材や林地材残の活用をしていますが、宮崎の杉は木目が美しく、全国のカーバーの憧れの的です。子どもたちを招いての間伐体験や、山里での体験学習なども行っています。
 チェーンソーアートは、自分たちの楽しみとしてもやっていますが、年を重ねたら大変なので、老後も楽しく過ごせるようにバードカービングも始めました。
 一村一品というのもありますが、私としては一人一品。フォレスト・フェアリー『上鹿川の森の天使』として、みんなを紹介したいです。木箸を作る天使、こんにゃくを作る天使、色んな天使がいていいし、私もいつかはそんな天使になりたいです。

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上鹿川から見て、現代の社会に欠けているものは何だと思いますか?

西さん
 昔はおじいさん、おばあさんの話を聴く、受け止める。そういったことが日常の暮らしの中で当たり前にありました。今は、個々が切り離され、そういう機会すらありません。
 核家族化が進み、人工的なものに囲まれ、「稼ぐ」という経済観念に囚われた社会の中で育った子どもたちは、人とどう会話したらよいか分からないという、コミュニケーション能力に問題があります。
 突発的なことがおこったときに、機械的な対応、思いもよらない発想、行動にいたってしまうのは、動物的な本能、―五感―が鈍くなっているからだと思います。
 五感を精一杯活かして生きてきた人たちは、温かい心を持っています。他人の喜びや悲しみに共感する心を持っています。五感を磨くことで、豊かな心が広がるのだと思います。
 初めてここに来る子どもたちは、携帯電話が通じないので、アンテナが立つ場所を求めて右往左往します。山に囲まれていて、いつもの遊び道具もないので、やがて近くにいる人と会話を始めます。
 おじいさん、おばあさんの話を聴き、働く姿を見てたくましさを知ると、心に“ぽっ”と、五感の灯がともるようです。

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上鹿川の暮らしに満足していますか?

西さん 
 私もここへ来るまでは、何も知りませんでした。地域の素晴らしさや、素晴らしい人を知り、心からカッコいいと思えるようになってから、自分の思い込みや自我を押し付けることが少なくなりました。
 私もここで暮らすおじいさん、おばあさんのようにカッコよくなりたいです。上獅子川に来て、本当に良かったと思います。上鹿川の皆さんに感謝しています。だから、みんなと楽しみながら、恩返しをしていきたいです。

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西さんが、宮下のお父さん、お母さんと慕う宮下利政さん(71歳)スズ子さん(69歳)夫婦。2年前に山形県から移住してきました。上鹿川の自然と、西さんとの出会いがありました。晩ご飯は、毎日のように一緒に食べています。地球家族と呼んでいます。

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これからが楽しみ。色んな物が繋がっていきます。

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カラムシの繊維を茜で染めたもの。全て上鹿川の自然の恵です。


(レポート 藤木哲朗)

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