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山の祭 第2回【鞍岡祇園神社夏季例大祭】

山の祭 第2回【鞍岡祇園神社夏季例大祭】

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 今回ご紹介するのは、7月15日に五ヶ瀬町鞍岡地区で行われました、『鞍岡祇園神社夏季例大祭』です。
 九州島発祥の地・祇園山(1307.1m)の麓にある祇園神社の夏例祭は、厄病、疫病の厄難災難消除、五穀豊穣を祈願します。悪魔退散祈願として、素盞鳴大神がヤマタノオロチを退治する森巻神事など、とても珍しい行事が伝えられています。
 今年は、害虫駆除を祈願する古代からの農耕儀礼『虫追い』も復活し、地元民だけではなく、アメリカから来日した学生も多数参加し、大変な賑わいでした。

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『虫追い』の御神輿。

祇園神社

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御祭神 
素盞鳴大神 大己貴大神 伊弉冉大神
奇稲田姫神 五ッ瀬ノ神 蘇民将来 巨旦将来
天満天神 足名椎神 手名椎神 稲荷大明神

 第二十九代欽明天皇の十六年頃、知保郷に厄病流行し疫病及び厄難消除の祈願守護神として創始祇園社と称し、第五十五代文徳天皇の天安元年曽男神(素盞鳴大神)並びに冠八面大明神(闇龗神)に正五位下の神階奉授の古い神社であります。(文徳実録第九より)
 第五十六代清和天皇の貞観十一年山城国(京都)八坂神社より素盞鳴大神を勧請、その他の諸神を合祀し八坂神社と改称。昭和十年祇園神社と改称現在に至っております。(祇園神社案内より)

森巻神事の由来

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 矢惣園組の森巻の神事悪魔退散祈願として、古事の大蛇退治の八岐の大蛇をまかや(ちがや)で作り、神殿より右の立木に巻く大蛇は八尋、左の木に巻く大蛇は七尋と定められ木に巻きつけられ頭は、新しく芽生えた真竹の若竹を割って作った橋の上にのせ、一夜造りの甘酒を備える(スサノオミコト大蛇退治)橋も桁に並べる板の数も陰暦平年は十二枚、うるう年は月数の十三枚をまかやで結いつけるを慣わしとする。(祇園神社案内より)
(※矢惣園組は、祇園神社のそばを流れる五ヶ瀬川の対岸にある地域の組名です)

【鞍岡祇園神社夏季例大祭・スナップ集】

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矢惣園組の氏子がまかやを編み、竹を組み、ヤマタノオロチを設えます。

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神楽殿では、まかやで円を描き奉納相撲が行われます。

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 森巻神事。佐貫宮司が祝詞を上げたのち、ヤマタノオロチに甘酒をたらふく飲ませます。疫病厄病悪魔退散間違いなしです。

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社殿にて神事が行われます。

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地元の鞍岡小学校の六年生による「浦安の舞」奉納。

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神楽殿にて、祇園神楽奉納。

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テンポが速く、どこか雅な感じがします。

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御幸行列を前に、鞍岡中学校の生徒による、棒術と薙刀の披露がありました。

【御神幸行列】

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「こどもの神輿だ!わっしょい!わっしょい!」

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鼓笛隊も続きます。

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 沿道で行列を見ていたおじいさんが教えてくれました。「虫追いは、私が子どもの頃に、父親たちが神輿をかついで集落内を飛び回りましたわ。一日かけてやってましたね~。」
 この儀式は、害虫駆除以外にも、日照りが続いたときの雨乞い祈願や、その逆のときにも出て回ったそうです。

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異文化交流を目的としてアメリカから訪れた中高生たちも半被を着て参加。

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商店街どおりを練り歩きます。

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アメリカの学生たちも、「ワッショイ!ワッショイ!」

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「海外の方も参加してくれて、世界とつながったようです。」佐貫宮司は、御神馬で。

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街を練り歩き、祇園神社へ。鎮守の森に「わっしょい!」の掛け声と熱気があふれます。

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妙見神水の御神水神輿。境内を周りフィナーレが近づきます。

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やがて、神様たちは社へ帰っていきます。

【心影無雙太車流棒術『白刃の演武』】

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気迫のこもった演武が続きます。子どもたちも真剣に見ています。鞍岡には、秘伝の書があり、今も大切に保管されているそうです。

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おばあちゃんも、見事な棒術の披露に拍手を送ります。

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子どもたちの神楽奉納。立派に舞いました。

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(写真左、松本さん。右、江藤さん】

鞍岡地域づくり協議会『祇園祭盛り上げ隊』 

実行委員長 江藤実さん(35歳)
 天候が心配でしたが、みんなの頑張りに天も応えてくれたと思います。僕たちが子どもの頃の祭は、人出も多く、屋台も並び、とても賑やかなものでした。けれども、過疎化が進み人手が減り、祭りの規模も年々縮小していきました。
 そこで、鞍岡地区で暮らす40歳以下の男子に声をかけ、みんなで祭を盛り上げようと話し合ってきました。みんなで5000円ずつ出資して、屋台を開きました。今年は、虫追いの行事も復活しましたし、外国からも大勢参加してくれて、とても盛り上がったと思います。
 「昔の賑やかだった祭に、近づいたぞ」と、地元のおじいさんに声をかけられたのが嬉しかったです。みんな、良い顔をしていると思います。

副実行委員長 松本淳一郎さん(32歳)
 若い力が集結して、祭を盛り上げられたのが嬉しかったです。子どもたちも楽しそうでしたし、祇園神社の神様も喜んでくれたと思います。
 これを機会に祭以外でも、みんなで力を合わせて町を盛り上げていけたらよいと思います。

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子どもから大人まで、みんなの楽しい声が続いていました。

(レポート・藤木哲朗)
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山の祭 第1回【尾狩神楽】

山の祭 第1回【尾狩神楽】

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 今回は、一月十六日から十七日にかけて高千穂町尾狩地区で行なわれた、尾狩神楽に参加してまいりました。
 尾狩神楽は、山中神社の山中様に、秋の収穫を感謝し、来年の豊作、家内安全、熱病の予防、氏子の繁栄を祈願する里神楽です。神社の氏子である、高千穂町の尾峰、狩底。日之影町の草仏、乙女の四つの集落の村人が神楽を奉納します。

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 山中神社は、江戸後期の修験道・山中坊を祀っています。疫病にかかった山中坊がある村を追い出され、たどり着いたのが、尾狩集落。村人は哀れんで、山中坊を世話したそうです。山中坊は村人に感謝し、「上から入る疫病は食い止めることはできないが、下から入る疫病はここでくい止めよう」と、村人に約束をして亡くなりました。村人は神社を建立し、山中坊を祀りました。今も変わらず、疫病や流行病から護ってくれる神様として、信仰されています。

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 「間違えました」。今年から、本格的に奉仕者(ほしゃどん・神楽の舞い手)デビューした、甲斐雅大君(11歳)が、舞いを間違えて少し悔しそうです。昨年デビューした飯干大地君(13歳)、弟の甲斐智己君(10歳)、弟の友人橋本敦也君(10歳)と、『東西』を舞いました。白い衣に身を包み舞う姿は、本当に神様にお仕えする奉仕者で、学校の学芸会のようなものではありません。十二月半ばから練習を始めたそうですが、とても立派に舞いました。こうしてこの地で生まれたものが神楽を学び、受け継いでいきます。

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神様たちが神楽宿へ参りました。

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 『彦舞』は、神楽宿で、最初に舞われる一人舞いです。笛と太鼓が響き、サルタヒコが舞い始めると、さすがにちょっとした緊張と今年もいよいよ始まったのだという、実感がわきます。奉仕者も皆、舞い手をじっと見つめます。

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 舞いの中に、『山中様』もでてきます。村人は、自分の父親や祖父から、山中坊の話を口伝で教えられてきました。特に定まったものはないようで、それぞれに違う話を聞かせてくれます。なぜ、疫病を患った修験道が、神様となったのか?その背景には、なにがあるのか?とても興味深いのですが、それをはっきりと語れる人はいません。「じいさんがそういう話をしよった」。そう言って、山中神社を守り、山中様を大切にしています。

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 夜神楽でたまにあることですが、神楽を見ていた幼子が、引き込まれるように舞い始めることがあります。教えられなくても、笛、太鼓に合わせて、身体が勝手に反応するようです。それを見ると、神楽の村に生まれた血がそうさせるのだろうとか、舞う(踊る)という本能が人間のなかにあるのだろうなどと考えてしまいます。

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 小さな神様が、鍬を持って畦塗りをします。とても、リズミカルに上手に塗っていきます。隣で見ていたおじさんが、上手いもんだと声をもらします。

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 『田植神楽』。豊作祈願の舞です。牛が暴れまわり、観衆を沸かせます。次にでてきた四人の早乙女が、舞いながら激しくぶつかり合います。吹っ飛ばされて、観衆の中に飛び込みます。観衆も大笑いなら、舞い手も大笑い。神楽宿全体が、笑いに包まれます。

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 「女ん子は、百になっても家をもたん。氏神様が護ってくれるから、大事にせにゃいかん」。そう言われてきたから、毎年、尾狩神楽に帰ってくるという飯干千砂子さん(80歳)。「来ちょる人と、自然とさりげなく話すのが好き。神様の飯を食べるとが楽しみ」。そう言って、神様の焼酎を飲んで、眠ってしまいました。

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 剣を持って激しく回転する『岩潜り』。今は、模擬刀が使われていますが、昔は真剣が使われていたそうです。この後、二人舞、一人舞となっていきます。一人舞では、年配の奉仕者が、ぜぇぜぇしながら、畳の上を転げまわります。男衆から「もう、いっちょう!」の声、おばあさんがたまらず、「もう、かえらんでぇ~」と心配します。

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 『座張り』。激しく舞い踊ります。神様の頭にも血がのぼるようです。神庭だけには収まりきれず、観衆のなかに飛び込んだり、持っていた飾りのついた柄を柱に何度も打ち付けたり、見ていて怖いです。

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 『武知の舞』。風難よけの舞です。

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 『山森』。山の神に祈る舞では、銃を持って舞います。物騒だし、とても不思議です。夜神楽は、神代の昔の天岩戸伝説をモチーフにしていますが、その村の歴史や、様々なことが影響し、その都度その姿を変えてきたようです。銃もその中で、取り入れるようになったのでしょう。

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 『柱連口』。庭先の柱連柱から伸びた綱を二人の奉仕者が器用に辿りながら舞います。見ていても意味はわかりませんが、そこには何か深いものがあるのでしょう。誰が何のためにこういう舞を考えたのか?謎は、深まるばかりです。

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 代々受け継がれてきた神面。奉仕者が吐く息もまた、そこに染み付いてきました。同じ面でも舞によって、違う表情を見せます。神様が本当に生きてそこにいるようです。

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 紅一点とはよく言ったもので、『細女』だけは、とても柔らかい舞を見せてくれます。違う空間に迷い込んだようです。

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 『日の前』。岩屋を開けて、天照大神を地上に迎え入れます。人びとの心にも光が広がっていきます。

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 『雲下し』で、雲を降ろせば、夜神楽はお開きとなります。長い夜が開けました。本当に凄く長い時間の旅の中に僕たちはいました。時に過去へと遡り、時に未来へとタイムスリップする。だけれども、変わらず夜神楽はあり、それを中心に村の暮らしが営まれています。何世代にも渡って伝わってきた夜神楽には、それだけの喜びと楽しみがあるのだと思います。

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 真っ直ぐに朝日が差してきます。全てのものが清められ、新しいエネルギーが満ちていきます。

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 神楽宿のご主人で、奉仕者でもある甲斐勲さん(61歳)。「今年は子どもたちを中心に練習をしてきました。子どもは覚えが速いです。神楽が好きな子ほど、覚えがいい。一度舞ったら忘れんし、大人になっても心に残っていると思います」

 朝飯を食べながら皆、和やかな顔になっています。空は晴れ渡り、御幣が風に揺れています。「今から寝ると、中途半端な時間になるとよな」。そう呟いて、役目を終えた奉仕者が家路につきました。

(レポート 藤木哲朗)
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